ダッフルコートとは?名前の由来の町と、1742年にはもうあった「ダッフル・コート」

ダッフルコート(Duffle coat)の見出し画像。白地に名前と、生成 AI の下絵をもとにしたイラスト コート
キャメル色のダッフルコートを着て立つ人の全身のイラスト。フードがあり、前をループと木のトグルで留めている
イラスト:AI 生成(Grok)をもとに編集部で作成 ▲ダッフルコートの着姿の一例(想像図。実物の写しではない)

ひとことで言うとフードと、浮き形の留め具(トグル)が目印のコート、と説明されることがあります。名前は、ベルギーの町デュフェルの毛織物から来たとされます。

この記事で分かること

テーマ: コート

頭にかぶるフードと、前に並ぶ浮き形の留め具。ダッフルコートの目印は、この2つとも言われます。名前の「ダッフル」は、ベルギーの町の名とされます。

ただ、町の布の名がいつコートの名になり、いつ海軍の防寒着になったのかは、話が人によってまちまちです。そこで、1742年から1948年までの当時の紙面を開いて確かめました。

では、町の布の名は、いつからコートの名になったのでしょうか。

ダッフルコートの正面図。フード、ループ、トグル、パッチポケットの4か所に、引き出し線で和名と英名の注記がある
図:Fashi Note 編集部(AI 生成の下絵を加工して作図) ▲トグルを3段に付けたダッフルコートの一例。部位の名前と位置を示した(当時の実物の写しではない)
TAILOR’S NOTE

「町の名前が布の名前になって、布の名前がコートの名前になる。名前ってのは、思ったより遠くまで旅をするもんなんだよねぇ」

ダッフルコートとは?「ダッフル」はベルギーの町の名

フードとトグル(留め具)が目印のコート、と説明されることがあります。名前は、ベルギーの町デュフェル(Duffel)の毛織物から来たとされます。

もとは作業用の上着だった、という説があります。

「ダッフル」は、もともと布の名前です。両面をけば立たせた(起毛させた)、毛布のような質の低いウールの布だとも言われます。町の名が、オランダ語を経て英語の布の名になった、という説があります。

町と布の関係は、資料によって「その町で織られた布」と「もともとその町で売られていた布」に分かれます。

図。上の枠に「ベルギーの町デュフェル(Duffel)」、矢印の下の枠に「町の名が、粗いウールの布の名に」「ここは資料3点がそろう(とされる)」。その下に「布と町の関係は、資料によって分かれる」とあり、左の枠「その町で『織られた』布 とする資料2点」と右の枠「その町で『売られた』布 とする資料1点」が並ぶ。最後に「どちらかは、いまの資料では決められない」
図:Fashi Note 編集部 ▲名前の元は町の名。布と町の関係(織られた/売られた)は資料によって分かれる

町の名から来た点は、確からしいと考えられています。ただ、町で織られたのか、売られたのかは、いまの資料では決められません(編集部の結論)。

詳しく見る:布の名の元と、「織られた」「売られた」の食い違い

名前が町 Duffel から来た点は、別々の3点の資料がそろって示します[1][2][3]。

duffel を、両面を起毛させた質の低い(low-grade)ウールの毛布地とし、オランダ語を経てベルギーの町の名から来たとする説明があります[2]。

粗いウールの布の名として1670年代に英語に現れ、オランダ語の duffel を経て、ブラバント地方の町 Duffel の名から来た、という説があります[3]。

その町で「織られた」布とする資料と、「もともとその町で売られていた(originally sold)」布とする資料があります[1][3][4]。

英国のダッフルコートの会社グローヴァーオールは、その町で17世紀から厚いウールの布が織られていたと主張しています。「織られた」とする2点のうち、1点は根拠の資料を示さない本で、もう1点はこの会社自身の説明です[1][4]。

トグル(ボタン代わりの留め具)

トグルは、木や金属でできた浮き形の留め具で、フードと並ぶダッフルコートの目印とも言われます。「トグルボタン」とも呼ばれます。

トグルは、ひもの輪(ループ)に掛けて留めます。ボタンでなくトグルで留めるわけは、トグルの節で説明します。

「ダッフル・コート」の名前は、1742年にはもう使われていた

1742年4月、ロンドンで手配された男は「明るい色のダッフル・コート」を着ていました。ただし、そのコートがどんな形だったかは分かりません。

布の名としては、もっと古く、1670年代には英語に現れていたという説があります。

事件は、ロンドンのクラーケンウェル・グリーンの近くで起きました。茶とみられる荷を積んだ5人の騎馬の男が、巡査に発砲したのです。英国政府は、この事件を公報(官報)で告示しました。

最初に撃った男の人相書きは、「明るい色のダッフル・コートの上に大外套」という姿でした。

3行の年表の図。題は「布の名から、コートの名へ」。1670年代「粗いウールの布の名として英語に(という説がある。資料1点)」、1742年「『Duffel Coat』の名がもう使われていた(当時の紙面の画像で確かめた。コートの形は書かれていない)」、19世紀までに「フード付き・トグル留めの形を指す(という説がある。作り手の会社の説明。19世紀の当時の資料は未確認)」
図:Fashi Note 編集部 ▲1742年の行は当時の紙面で確かめた。ほかの2行は、それぞれ1点の資料による説

フードやトグルが付いていたのかは、この告示からは分かりません。19世紀までに「ダッフルコート」がフード付きでトグル留めの形を指すようになった、という説があります。

ただ、その時期を示す19世紀の資料は、まだ確かめられていません。

詳しく見る:1742年の告示の原文と、19世紀の説の出どころ

告示は1742年4月10〜13日号(第8109号)の「Whitehall, April 10」の項で、原文は「a Light Coloured Duffel Coat, and a Great Coat over it」です。茶は「suspected to be Tea(茶とみられる)」とあります[5]。

19世紀までにフード付き・トグル留めの形を指すようになった、というのは、ダッフルコートを作る会社グローヴァーオールの主張です。フード・トグル付きの形を「duffle coat」と呼んだ19世紀の紙面は、探した範囲では見つかっていません(編集部調べ、2026年10月)[6]。

1940年の暮れには、英国製のフード付きのダッフルコートが軍艦の上で着られていました。1942年には、海軍省の規格どおりとうたう同じ名のコートが、一般の人向けにも売られていました。

ダッフルコートは、第二次世界大戦中の英国海軍で使われたとされます。一般に広まったのは戦後だ、という説があります。

年表の図。上の段「本で言われていること」に、戦時中「第二次世界大戦中の英国海軍で使われた(とされる。資料2点)」、戦後「広まった(という説がある。資料1点)」。下の段「当時の紙面と実物で確かめたこと」に、1940年「軍艦の艦橋でフード付きのダッフルコート(当時のスケッチ)」、1942年「海軍省の規格どおりとうたう品を通信販売(一般の読者向け)」、1948年「元海軍の品が余剰品として売られる(配給の切符なしで)」、1950年代「英国製の1着が博物館に残る(1958〜63年に着られた1着)」
図:Fashi Note 編集部 ▲上は本で言われていること。下は当時の紙面と実物で確かめたこと

当時の姿は、絵にも残っています。1940年12月には、英国海軍とともに戦うポーランド海軍の艦上のスケッチが描かれました。

ここがポイント

駆逐艦の艦橋(船を指揮する高い所)の場面には、「英国製のフード付きの”ダッフル”コートが男たちを暖かく保つ」と説明が付いています。

1942年10月には、民間向けの「ヴィタボー・ダッフルコート」が郵便で注文できました。海軍省の規格どおりに、28オンス(オンスは生地の重さの単位)の防水加工のダッフル地で作った、とうたう品です。

詳しく見る:「採用」という書き方と、1940年・1942年の紙面の細部

英国海軍が「採用した」とする資料もあります。グローヴァーオールは、北極海と北大西洋の護送船団の水兵のためだったと主張しています[1][4]。

本文で「使われた」までにしたのは、別々の2点の資料がそろう範囲だからです。そのうち1点は1939〜45年の英国海軍のダッフルコートの実物を示しますが、「採用」とは言っていません[1][7]。

1940年のスケッチを描いたのは、ポーランド軍の公式の戦争画家フェリクス・トポルスキです。絵の説明文は「ダッフル」を引用符でくくっています[8]。

1942年のコートは税込み90シリングで、衣料の配給切符16点と引き換えでした。原文は「made up to full Admiralty specifications」です[9]。

なお、グローヴァーオールは自社の型の一つにモンゴメリー元帥の名を付けていて、元帥は戦争中ずっとダッフルコートを着ていたと主張しています[4]。

TAILOR’S NOTE

「”海軍の規格どおり”って売り文句、戦争の真っ最中の広告なんだよねぇ。軍の服と街の服の境目って、案外あいまいなもんだろ?」

戦後の1948年1月には、政府の余剰品の元海軍のダッフルコートが、配給の切符(クーポン)なしで売られていました。フード付きで長い丈の純毛の品が、50シリング(当時の英国のお金の単位)でした。

ロンドンの博物館には、1950年代の英国製の、キャメル色のウールのダッフルコートが残っています。1958〜63年に、若い政治運動家が着ていた装いの1着です。

詳しく見る:1948年の売り文句と、創業の話の食い違い

1948年の売り文句は「ALL coupon free」「reconditioned ex-Naval camel wool duffle coats, with hood, full length, pure wool, 50/-」です。再生した、元海軍のキャメルのウールの品でした[10]。

グローヴァーオールは、1951年にハロルドとフリーダのモリス夫妻がロンドンで興した会社です。何から始めたかは、同社の説明の中でも分かれます。余剰品の海軍のダッフルコートを売ることから始めたとする説明と、戦後の数年間に余剰品を卸したあと、ダッフルコートを作るために会社を興したとする説明があります[4][6]。

この1着は、着ていた本人がまとめ直した一式の1着で、1994〜95年に同じ博物館の展覧会「ストリートスタイル」で展示されました。本人は、活動のために実用的で安く、楽な服を着ていた、と振り返っています[11]。

なぜボタンではなく、トグルで留めるの?

手袋をしたままでもボタンより扱いやすいから、と英国のダッフルコートの会社グローヴァーオールは主張しています。ただ、海軍がその理由で選んだという話は、確かめられる資料が見つかっていません(編集部調べ、2026年10月)。

木のトグルに、より合わせたひものループを掛けたところを近くから描いたイラスト。後ろはキャメル色の布
イラスト:AI 生成(Grok)をもとに編集部で作成 ▲トグルを、ループに掛けて留めたところ。想像図で、形は一例
部位場所どんなものか
フード頭ダッフルコートの目印の一つとも言われる。1940年の艦上のコートも、1948年の元海軍のコートもフード付き
トグル(トグルボタン)前木や金属でできた浮き形の留め具。木か角のトグルと太いロープの輪(ループ)は手袋のままでも扱いやすい、と作り手の会社は主張している
ループ前トグルを掛ける、ひも(紐)の輪。1950年代の実物も、トグルをループに掛けて留める
パッチポケット前の下のほう表に貼り付けた大きなポケット。1948年の新品の腰丈の型にも、1950年代の実物にもある

ここがポイント

トグルを選んだ理由を書いた当時の資料は、手元の12点に見つかっていません(編集部調べ、2026年10月)。手袋の話は、作り手の会社の主張です。

詳しく見る:「漁師の上着」「トグルは漁師の浮き」という話を探した範囲

ダッフルコートはもと北海の漁師の上着だった、トグルは漁師の浮きだった、という話がありますが、確かめられる資料は見つかっていません(編集部調べ、2026年10月)。手元の資料12点(この記事の「参考にした資料」のすべて)を見ました。

名前の元として資料が挙げるのは、町の名の布です[1][2][3]。

海軍との縁として挙がるのは、第二次世界大戦中の英国海軍で使われたことです[1][7]。

漁師との結びつきを確かめられる資料が見つかれば、この節に足します。

ダッフルコートとピーコートの違い

見分ける目印は、前の留め方です。ダッフルコートはトグルで留め、ピーコート(Pコート)はボタンで留める、という説明があります。

ピーコートは、英国海軍の艦上用の短いコートが一般に広まったもの、という説があります。どちらも英国海軍と縁のあるコートですが、前の留め方と名前の元が違います。

2着のコートを左右に並べたイラスト。左はキャメル色のダッフルコートで、フードと、前に3段のトグル。右は紺のピーコートで、ボタンで留めるダブルの前。下に「ダッフルコート フードとトグル留め」「ピーコート ボタン留めの短いコート」とある
イラスト:AI 生成(Grok)をもとに編集部で作成 ▲ダッフルコート(左)とピーコート(右)の典型の一例。どちらも想像図(実物の写しではない)
ダッフルコートピーコート
どんなコートフードとトグル留めのコート(一説)英国海軍の艦上用の短いコートが、一般に広まったもの(一説)
典型の前の留め方トグルボタン(一説)。ダブルの打ち合わせの図で示す資料がある
名前の元ベルギーの町デュフェルの毛織物とされる生地の名とする説と、オランダ語の厚手のウールの上着の名とする説がある
英国海軍との縁第二次世界大戦中に使われたとされる19世紀末から英国海軍で使われた、という説がある

表は典型の形を並べたもので、どちらにも例外がありえます。1948年には、腰丈と長い丈の2つの型のダッフルコートが並んで売られていました。

腰丈の型は新品の生成り(染めていない生地そのままの色)で、風雨よけの襟(ストームカラー)と、大きなパッチポケット2つが付いて、62シリング6ペンスでした。

よくある質問

Q. ダッフルコートの「ダッフル」とは?

A. ベルギーの町デュフェル(Duffel)の毛織物から来た名前とされます。英語では、粗いウールの布の名として1670年代から現れる、という説があります。

Q. ピーコートの「ピー」は何のこと?

A. 生地の名から来たとする説と、オランダ語の厚手のウールの上着の名から来たとする説があります。1882年には、オランダ語の pije(粗く厚い布)から来たとする説明が、もうありました。

Q. ダッフルコートは海軍のコートだった?

A. 1940年の暮れには、英国の軍艦の上でフード付きのダッフルコートが着られていました。ただし「ダッフル・コート」という名前そのものは、1742年にはもう使われていました。くわしくは海軍の節にまとめました。

関連語

参考にした資料(12点)
  1. [1]高村是州『アイテム 歴史 スタイル 専門用語 デザイン すべてがイラストでわかる ファッション事典』日本文芸社, 2026
  2. [2]「duffel」The American Heritage Dictionary of the English Language, 5th ed.
  3. [3]Douglas Harper「duffle (n.)」Online Etymology Dictionary
  4. [4]Gloverall「Our Heritage」
  5. [5]「Whitehall, April 10」The London Gazette, No. 8109, 1742
  6. [6]Gloverall「History of the Duffle Coat: Origins & Heritage」, 2018
  7. [7]Lightning 編集部『Lightning Archives ミリタリージャケット 改訂版』枻出版社, 2019
  8. [8]「Poland’s Fleet: On Active Service with the Royal Navy」The Illustrated London News, 1940
  9. [9]「The Vitabeau Duffle Coat」(Vitabuoy Products の広告)The Illustrated London News, 1942
  10. [10]広告欄(MISCELLANEOUS) Flight, 1948
  11. [11]Victoria and Albert Museum「Coat(T.973:1-1994)」
  12. [12]S. William Beck, The Draper’s Dictionary: A Manual of Textile Fabrics, Their History and Applications, The Warehousemen & Drapers’ Journal Office, 1882

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この記事の作り方: 下調べ・下書き・点検に生成 AI(Claude)を使いました。書いた事実は、上の「参考にした資料」の原文(本の頁、当時の紙面やカタログの画像、Web のページ)を編集部が開いて確かめたものだけで、どの記述をどの資料で確かめたかは編集部の記録に残しています。冒頭と本文のイラスト、図の下絵の一部は生成 AI(Grok)で作り、それぞれの絵と図の下に出所を書いています。AI の使い方について

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