ひとことで言うと襟の上の部分(上襟)にベルベット(ビロード)を張り、前はボタンが隠れる作りが多いとされるコートです。ひざ丈の背広型のコート、とも言われます。名前は19世紀のチェスターフィールド伯から来たとされます。
この記事で分かること
- どこを見ればチェスターコートと分かるか(襟と前の形)
- 「チェスター」が誰の名前で、いつから使われていたか
- ベルベットの襟やボタンを隠した前でないと、チェスターコートではないのか
- トレンチ・ピーコート・ステンカラーとの見分け方
別名: チェスターフィールドコート | テーマ: コート
上襟のベルベットと、ボタンを布で隠した前。チェスターコートの目印は、この2つとされます。
この記事では、襟と前の形を図と表で示します。そのうえで、名前が出てくる1842年の詩と、1895年に仕立てられた実物の記録を開いて確かめました。
名前の「チェスター」は、伯爵の名とされます。では、どの伯爵で、いつから呼ばれていたのでしょうか。
「伯爵の名前が付いたコートって聞くと、それだけで由緒ありげだろ? でも伯爵ってのは代替わりするから、同じ肩書きの人が何人もいるんだよねぇ」
チェスターコートとは?「チェスター」は伯爵の名前
上襟にベルベットを張り、前はボタンを布で隠すことが多いとされるコートで、ひざ丈の背広型のコートとも言われます。名前は19世紀のチェスターフィールド伯から来たとされます。
襟は、背広の上着と同じように上下2つに分かれています。上の部分が上襟、その下の部分が下襟(ラペル)です。
前は、閉じるとボタンが隠れる仕立てが典型とされます。ボタンを布で隠すこの仕立てを、比翼(比翼仕立て・フライフロント)と呼びます。
ボタンが1列の前をシングル、前を深く重ねてボタンを2列にした前をダブルといいます。チェスターコートがどちらかは、資料によって分かれます。
見分ける目印になる襟と前の部位を、下の表にまとめました。
| 部位 | 場所 | 見るところ |
|---|---|---|
| ベルベットの上襟 | 襟 | 上襟にベルベットを張るのが典型とされる。1895年の実物もベルベットの襟 |
| ノッチドラペル | 襟 | 上襟との境目に刻み(切れ込み)が入り、その線が菱形になる下襟とされる。菱襟・普通襟とも呼ぶ。1895年の実物の写真でも、上襟と下襟の境目に刻みがある |
| 胸ポケット | 胸 | 1895年の実物には、胸の外ポケットと小さなチケットポケットがある。チケットポケットは1850年代の終わりに現れた、という説がある |
| フラップポケット | 脇 | ふたの付いた脇のポケット。チェスターフィールドの特徴の一つとする資料がある |
| 比翼 | 前 | ボタンを布で隠す前の仕立て。1901年の米国の定義にも入っている |
名前の元のチェスターフィールド伯は、英国の貴族の称号です。この爵位は、英国の貴族スタンホープ家の一つの家系が継いできました。
詳しく見る:典型の形の分かれ方、ビロード、ノッチドラペル、ポケット
19世紀のスタイルとして、ウール地のひざ丈で、上襟にベルベットを張り、前をシングルの比翼にしたコートとする資料があります。背広の上着のような襟とラペル(下襟)が特徴のコートとする説もあります[1]。
シングルかダブルのオーバーコートで、ふつうはボタンを隠し、ベルベットの襟が付く、とする資料もあります。上襟のベルベットと隠しボタンを典型とする点では、別々の資料が一致します[1][2]。
ベルベットは、ビロードとも呼ばれます。どちらも同じ生地の呼び名です[3]。
ノッチドラペルは、上襟との境目の刻みの線が菱形になる下襟で、菱襟・普通襟とも呼ばれます。スーツの襟の説明でも、ノッチドラペルは菱形の襟とされます[1][4]。
1895年の実物の写真でも、上襟と下襟の境目に刻みがあります。胸には外ポケットと小さなチケットポケットが付いています[5]。
チケットポケットは1850年代の終わりに現れた、という説があります。ふたの付いた脇のポケット(フラップポケット)を、チェスターフィールドの特徴の一つとする資料もあります[5]。
4代目の伯フィリップ・ドーマー・スタンホープは、スタンホープ家のうちチェスターフィールドの家系の当主でした[6]。
名前は、遅くとも1842年にはロンドンで通じていた
1842年には、「チェスターフィールドのコートを着たあの男は誰だ」と、説明なしに詩に書かれていました。その年の伯爵は、1815年に爵位を継いだ6代目でした。
それは、ロンドンの街をぶらつく伊達男を冷やかす詩の1行目です。
名前に説明が付いていないので、遅くとも1842年には、この名前がロンドンで説明なしに通じていたことになります。
名前の元は、『息子への手紙』で知られる18世紀の4代目とは別の人で、19世紀の6代目とされます。
ただし、6代目が流行の先導役だった時期は、資料によって19世紀中ごろと1830年代に分かれます。
ここがポイント
確かめた範囲では、6代目とする説がいちばん確からしいと考えます。名前が通じていた1842年は、1815年に爵位を継いだ6代目が伯爵だった時期にあたります。
ただし、6代目本人がこのコートを着た、あるいは広めたという話を確かめられる資料は見つかっていません(編集部調べ、2026年10月)。
「本人が生きてるうちから、このコートは”一家の手柄”扱いだったんだよねぇ。名付け親を一人に絞るのは、思ったより難しいもんだろ?」
詳しく見る:1842年の詩、1865年の紹介、伯爵が最初に着たという説、4代目と6代目
1842年の詩の題は「The Man About Town」で、ロンドンの風刺週刊誌『パンチ』の第2巻にあります。1行目に続いてサテンのストック(首に巻く布)や金の頭のステッキが並び、男はリージェント・ストリートの歩道を行き来します[7]。
詩の頁には番号の印字がありません。同じ巻の巻末の索引では、この詩は73頁で、62〜75頁は「Punch’s Valentines」(バレンタインの特集)です。詩の終わりもバレンタインへの呼びかけで、号の日付は分かっていません[7]。
1865年には、スタンホープ家は主に「チェスターフィールド・コート、ピーターシャム帽、スタンホープ馬車」という3つの贈り物で世間に知られている、と紹介されていました。ここでも、何代目の伯爵かは分かりません[6]。
19世紀中ごろにチェスターフィールド伯爵が最初に着たコートだ、という説もあります。ただしこの説は、何代目の伯爵か、何を根拠にしたかを示していません[1]。
4代目のフィリップ・ドーマー・スタンホープは、1773年3月24日に亡くなりました[6]。
4代目は息子への手紙で、服はその土地の分別ある人と同じ程度にとどめ、身に合った良い仕立ての服を着たら、あとは服のことを考えるな、と説いたとも言われます[8]。
1865年の当主は、1815年に爵位を継いだ6代目ジョージでした。一貫したトーリー党の支持と、4代目が遺言で禁じた娯楽への熱中で知られる人と紹介されていて、その紹介に服装の話は出てきません[6]。
名前の元を6代目とする点では、別々の資料が一致します。6代目が流行の先導役だった時期は、19世紀中ごろとする資料[8]と、1830年代とする資料[5]があります。
ベルベットの襟と隠しボタンは、決まりではなかった
典型ではあっても、いつもではありませんでした。1895年にロンドンで仕立てられた実物は、前を4つのボタンで留める作りで、ボタンは隠れていません。
その1着は、ロンドンの博物館に残る、ロンドンの仕立て屋が客の注文で作ったコートです。シングルの前に、ベルベットの襟が付いています。
当時の記録を3つ並べると、前の形は次のとおりです。
| 年 | 残っているもの | 前の形 |
|---|---|---|
| 1879年 | 皇太子夫妻が「1879〜80年の新しいチェスターフィールド」を着たファッション画 | 皇太子のコートの前に、ボタンが縦に並ぶ |
| 1895年 | ロンドンの仕立て屋が注文で仕立てた実物(博物館に残る) | 前を4つのボタンで留める。ボタンは隠れていない |
| 1901年 | シカゴで出た服の用語集の定義 | 「シングルで比翼」 |
1901年の定義では、チェスターフィールドは「シングルで比翼の、中くらいの丈のオーバーコートで、背中はプレーン」です。いまの典型の形に近いものです。
ここがポイント
比翼は典型でも、19世紀のすべてがそうだったわけではありません。1879年の絵にも1895年の実物にも、前にボタンが見えています。
流行の山がいつだったかは、決められません。1860〜90年代のスタイルとする資料と、1840年ごろに人気が出たとする資料があります。
ただ1840年代から1890年代まで、この名のコートが描かれ、仕立てられ続けていたことは、当時の記録で確かめられます。
詳しく見る:1895年の1着の作り、1879年の絵、19世紀の型、1901年の定義
1895年の1着はウールの布で仕立てられ、背の首元から裾までは116.4センチ、重さは3.38キロあります[5]。
脇にフラップ付きのポケット、胸に外ポケットと小さなチケットポケットが付き、背中の裾には短いベント(切れ込み)が入ります[5]。
流行の時期は、資料によって分かれます。1840年ごろに人気が出て、1890年代になってもいちばん流行しているオーバーコートだったとする資料[5]と、1860〜90年代のスタイルとして載せる資料[1]があります。
女性の装いとしても描かれました。1879年のファッション画では、皇太子妃も「新しいチェスターフィールド」を着た姿です。この絵は、仕立て業の業界誌『The Tailor and Cutter』と一緒に出されました[9]。
型もいくつかあった、という説があります。ふくらはぎまで届く「ロング」、背中にゆとりを持たせた「サックバック」、袖の代わりにひじまでのケープを付けた「ケープド」です[5]。
1901年の定義は、シカゴの Cahn, Wampold & Co. が出した服の用語集『Clothes Dictionary』のものです[10]。
チェスターコートとトレンチ・ピーコート・ステンカラーの違い
見分ける目印は襟と前で、チェスターコートは背広型の襟とボタンを隠した前、トレンチはナポレオンカラーという襟、ピーコートは短い丈が典型、という説明があります。ステンカラーは、比べられるのが襟の名前までです。
| コート(どんなコートか) | 典型の襟と前 | 名前の元 |
|---|---|---|
| チェスターコート(ひざ丈の背広型のコート) | 上襟にベルベットとされる。前はシングルの比翼(一説) | 19世紀のチェスターフィールド伯とされる |
| トレンチコート(第一次世界大戦中に英国陸軍が塹壕戦用に着たとされるコート) | ナポレオンカラー(立ち上がってから折れる上襟と、大きな下襟を組み合わせた襟)とも言われる。前はダブルで描かれる(一説) | 第一次世界大戦の塹壕(トレンチ)とされる |
| ピーコート(英国海軍の艦上用の短いコートが一般に広まったものとも言われる) | 前をボタンで留める。ダブルで描かれる(一説) | 生地の名とする説と、オランダ語の厚手のウールの上着の名とする説がある |
トレンチコートは第一次世界大戦のころの軍用のコートとされ、19世紀の伯爵の名を持つとされるチェスターコートとは、生まれた時代が違います。
表は典型の形を並べたもので、どれにも例外がありえます。チェスターコートにボタンの見える前の例があったことは、上で見たとおりです。
シングルかダブルかは、資料によって分かれます。どちらもあるとする資料と、19世紀のスタイルとしてシングルの比翼を描く資料があります。
ステンカラーコートの「ステンカラー」は襟の呼び名で、前の部分を首に沿って折り返した襟のこと、と説明されることがあります。
ただ、ステンカラーコート全体の典型の形を、上の表と同じ物差しで並べられる資料は、まだそろっていません。そのため表には入れていません。
詳しく見る:トレンチコートとピーコートの定義、ステンカラーの襟
トレンチコートを、第一次世界大戦中に英国陸軍が塹壕戦用に着たコートとし、素材は防水の綿ギャバジンが一般的とする説があります。前をダブルの打ち合わせで描く図もあります[1]。
ピーコートを、英国海軍の艦上用のショートコートが一般に広まったものとする説があり、ウエスト丈のコートとする書き方もあります。襟の形は、確かめた範囲の定義には書かれていません[1]。
名前の「ピー」は、生地の名とする説と、オランダ語の厚手のウールの上着の名が語源とする説があります。後の説は、19世紀末から英国海軍で使われたとしています[1]。
ステンカラーは、前の部分が首に沿って身頃に折り返り、後ろの襟腰がやや高い襟とする説明と、前の部分を首に沿って直線的に折り返した襟で、折り立て襟ともいうとする説明があります[11]。
よくある質問
Q. チェスターコートの「チェスター」は何の名前?
A. 英国の貴族の称号、チェスターフィールド伯の名とされます。この名のコートは、遅くとも1842年にはロンドンで説明なしに通じていました。
Q. 『息子への手紙』で有名なチェスターフィールド伯が名前の元?
A. 手紙で知られるのは18世紀の4代目で、1773年に亡くなっています。名前の元は、別の人の19世紀の6代目とされます。くわしくは、上の「チェスター」の名前の節にまとめました。
Q. シングルとダブル、どちらがチェスターコート?
A. ボタンが1列ならシングル、前を深く重ねてボタンを2列にしたものがダブルです。チェスターコートは、どちらもあるとする資料と、シングルの比翼を描く資料があり、1901年の米国の定義もシングルです。
関連語
参考にした資料(11点)
- [1]高村是州『アイテム 歴史 スタイル 専門用語 デザイン すべてがイラストでわかる ファッション事典』日本文芸社, 2026
- [2]Houghton Mifflin Harcourt「The American Heritage Dictionary of the English Language, 5th ed.「chesterfield」」
- [3]小学館・平凡社「ビロード(日本大百科全書・世界大百科事典)」コトバンク
- [4]落合正勝『[新版]男の服装術 スーツの着こなしから靴の手入れまで』PHP研究所, 2004
- [5]Victoria and Albert Museum「Overcoat(Chesterfield)」S. Nelson, London, 1895
- [6]John Langton Sanford, Meredith Townsend, The Great Governing Families of England, Vol. I, William Blackwood and Sons, 1865
- [7]「The Man About Town」Punch, or the London Charivari, Vol. 2, 1842
- [8]中野香織『スーツの文化史』mountains and clouds, 2013
- [9]Victoria and Albert Museum「The Prince and Princess of Wales Attired in the New Chesterfields for 1879-80」E. David 画, London, 1879
- [10][William Henry Baker]Clothes Dictionary, Cahn, Wampold & Co., Chicago, 1901
- [11]小学館「ステンカラー(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典)」コトバンク
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