リーバイス501の大戦モデルとは?革パッチの「S」は戦時の規則が決めた印

リーバイス501の大戦モデルの記事のアイキャッチ パンツ・デニム
グレーの作業シャツに濃い青のストレートのジーンズの人の全身のイラスト。裾を折り返し、革の作業靴を履いている
イラスト:AI 生成(Grok)をもとに編集部で作成 ▲ジーンズの着姿の一例。戦争中の型や特定の会社の品を写したものではない(想像図)

古着で「大戦モデル」と呼ばれるリーバイス501があります。目印は、腰の後ろに付く革のラベル(革パッチ)の「S501XX」の文字と、塗料で描いた後ろポケットの弧の縫い模様(アーキュエイトステッチ)です。

前ポケットに付いた小さなポケット、時計ポケット(コインポケット)のリベットが無いのも目印です。生地が厚い、色が黒い、兵隊に支給された、といった話もついて回ります。

そこで1942〜46年の米国の官報(政府が規則を載せる公報)を開きました。「物資統制で簡素化された」とよく言われますが、どの規則が、何を決めていたのでしょうか。

大戦モデルとは? 目印(特徴)は S の印と描いた弧

第二次世界大戦中の501のうち、革パッチに「S501XX」とあり、後ろポケットの弧の縫い模様を塗料で描いたものを、古着ではこう呼びます。

下の図の6か所は、どれも1942年からの規則で、数や作り方が変わった所です。

ジーンズの腰まわりの正面図(上)と、後ろポケットの図(下)。時計ポケット(コインポケット)、リベット、ボタン(ウエスト)、フライ(前あき)、ポケット(後ろポケット)、弧の縫い模様(アーキュエイト)の6か所に引き出し線があり、それぞれ1942年からの規則や戦時の作り方で何が変わったかを短く書き込んである
図:Fashi Note 編集部(AI 生成の下絵を加工して作図) ▲1942年からの規則で変わった所(下絵は今の一般的なジーンズで、当時の実物の写しではない)

部品には、古着好きのあいだの呼び名もあります。後ろポケットの、覆って外から見えなくしたリベット(縫い目の端を留める金属の部品)は「隠しリベット」と呼ばれます。

輪飾り(リース)の柄の金属のボタンは「月桂樹ボタン」、真ん中が抜けた形のボタンは「ドーナツボタン」と呼ばれます。戦時の S501XX には、前に「月桂樹ドーナツボタン」が付いた例があります。

ここがポイント

月桂樹ボタンだけでは、大戦中の物とは言えません。よく似た柄が1928年にはボタンの意匠として登録され、戦後の作業服にも使われた、という説があります。

詳しく見る:呼び名の出どころと、戦時の501のボタン

「隠しリベット」は、後ろポケットのリベットを覆って見えなくする、同社が特許を取った作りの呼び名です。同社は1937年の冊子で、赤タブ(赤い小さな札)をこの作りの品の目印として紹介していた、という説があります[1]。

「月桂樹ボタン」は、コレクターがリースの柄のボタンを呼ぶ名前で、大戦の時だけのボタンのように言われることもあります。似た柄の1928年の登録の例として、ボタンの会社の商標の図が2つ挙げられています[1]。

戦時の S501XX には、トップボタンが月桂樹で小さいボタンはロゴ入りのものと、前の月桂樹ドーナツボタンと小さなドーナツボタンを組み合わせたものの例がある、という資料があります[2]。

戦争中、ジーンズのボタンとリベットが減った理由

1942年、米国は金属や布を節約する規則を次々に出しました。作業ズボンは、使ってよいボタンやリベットの数まで決められました。

ジーンズにじかに関わった規則は、次の3つです。

規則いつから何を決めたか
L-681942年4月1日衣料用のリベットなどを銅で作るのを禁止
L-1811942年8月15日より後に裁断する布作業ズボンのポケット・ボタン・リベットの数を制限
MPR-2081942年8月26日簡素化した品の番号の前に「S-」

銅のリベットが作れなくなった

1942年4月1日から、衣料用の金属のボタンやリベットを、銅や銅の合金で作ることが禁じられました。禁じたのは部品を「作る」ことで、手元にある銅のリベットを打つことには触れていません。代わりの材料も書かれていません。

何に替えたかは、資料によって鉄と銅めっきの金属に分かれます。1942年ごろの501では、まず後ろポケットの隠しリベットだけが鉄に替わった、という説があります。

編集部の見立て: 銅の規則には、作業服のリベットに銅めっきを認める書き方がありません。文面と合うのは鉄のほうだと考えます。ただし実物は調べていないので、断定はしません。

ボタンもリベットも、数に上限ができた

作業服の簡素化の規則 L-181 は、腰までの作業ズボンのポケット、ボタン、リベットとかんぬき止め(縫い目の端を補強する縫い)の数に上限を設けました。腰の後ろでウエストを絞る金具のシンチバック(尾錠)と、飾りの縫い目は禁じています。

部位戦争の直前の501(リーバイス社の説明)1942年からの規則
リベットの材料銅銅で作るのを禁止
リベットとかんぬき止め股(股リベット)と時計ポケットにもリベットベルトループの分を除いて合わせて9まで
シンチバック付いていた禁止
サスペンダーボタン1937年に外していた禁止
弧の模様糸で縫っていた飾りの縫い目を禁止
ラベルの番号ロット番号 501簡素化した品は前に「S-」
ジーンズの部品のイラスト4枚を2列に並べた図。左上「リベット 銅で作るのを禁止」はポケットの角の銅色の鋲、右上「サスペンダーボタン 規則で禁止」は腰帯の外側の2つのボタン、左下「フライのボタン 5個以上は禁止」は前立ての縦に並んだボタン、右下「股のリベット 戦争の直前の501にあった」は股の合わせ目の小さな鋲
イラスト:AI 生成(Grok)をもとに編集部で作成 ▲1942年の規則が数や材料を縛った部品。どれも想像図で、付く位置や形は一例

ポケットの模様は、糸をやめて塗料で描いた

戦時の501は、時計ポケットのリベットを省き、後ろポケットの弧の模様を糸で縫わずに塗料で描いたとされます。

これが古着でいう「ペイント(ペンキステッチ)」です。飾りの縫い目を禁じた L-181 に合わせた、という説があります。リーバイス社は、糸は飾りで役に立たないので外し、模様を残すために工員が1本ずつ描いたとしています。

ここがポイント

規則の文面には、リーバイスの名も弧の模様の名もありません。それでも501は、模様を塗料で描いて残したとされます。

詳しく見る:規則の原文の数字と、資料の食い違い

戦時の米国では、物資の使い道は戦時生産局(WPB)が、値段は物価管理局(OPA)が規則で縛った、という整理があります[1]。

銅の規則 L-68 は1942年3月28日付です。対象は衣料用の金属のボタン、リベットとその座金(burr)、記章で、例外は陸海軍の将校の制服など、ごく一部に限られます[3]。

銅でのめっきを例外として認めているのは、公共交通・警察・消防の職員と軍学校の生徒の、制服のボタンと身分を示すバッジだけです。規制を受けたのは部品のメーカーで、作業服のメーカーが在庫を使うのは構わなかった、という読み方もあります[1][3]。

銅が使えなくなった後のリベットの材料は、資料によって分かれます。1942年ごろの501でまず後ろポケットの隠しリベットだけが鉄になったとする資料[1]と、銅のリベットを銅めっきの金属にしたとする資料[4]があります。

L-181 は1942年8月8日付で、対象の筆頭は「Waistband overalls or dungarees」(腰までの作業ズボン)です。リーバイス社は、501を1960年まで広告や包装で「overalls」と呼んでいたとしています[5][6]。

許されたポケットは、前2・後ろ2・定規ポケット1・時計ポケット1までです。サスペンダーボタン、5個以上の前あき(フライ)のボタン、2個以上のウエストのボタン、シンチバック(尾錠)は禁止でした[5]。

作業服すべてに共通して、「false or more than double stitching」(飾りの縫い目と、2本を超える縫い目)と、布を重ねたポケットも禁じています[5]。

ジャケットの大戦モデルはこの記事では扱いませんが、L-181 は作業用の上着(overall jumpers or coats)にも、貼り付けのポケットは2つまで、前のボタンは4つまでといった上限を設けていました[5]。

弧の模様の作り方は、資料によって説明が分かれます。オレンジ色の塗料で描いたとする資料[1]と、「印刷した模様(printed facsimile)」とする資料[4]があります。

ポケットの袋布(スレーキ)がネルやオリーブ色の布になった個体があることは、2つの資料が一致します。理由は分かれ、軍用の生地が民間に回ったためとする推測[1]と、物資の統制のためとする資料[2]があります。

革パッチの「S」は、値段の規則が決めた印

1942年8月26日に発効した値段の規則 MPR-208 は、部品を減らした作業服の番号の前に「S-」を付けるよう定めています。S が何の略かは書いていません。

付ける番号は、1942年3月に使っていたロット番号(品番)です。戦時の501には、革パッチに「S501XX」とある実物があるとされます。規則と並べると、この S は簡素化した品の印として読めます。

1942年8月22日の米国の官報 p.6652 の切り抜き。上に「6652 FEDERAL REGISTER, Saturday, August 22, 1942」の柱、下に (e) Identification of garments の段落があり、簡素化した品のロット番号は1942年3月の番号の前に記号「S-」を付ける、と英語で書いてある
出典:Federal Register, Vol. 7, No. 166(1942年8月22日)p.6652、パブリックドメイン(govinfo.gov の頁画像を切り抜き) ▲値段の規則 MPR-208 の「S-」の項。S が何の略かは決めていない
TAILOR’S NOTE

「”大戦モデル”って呼び名、いかにも特別な一本に聞こえるだろ? じゃあ当時の書類は、あのジーンズを何と呼んでいたのか。そこが気になるんだよねぇ」

「大戦モデル」という言葉は、当時の規則に無い

1942年の3つの規則には、「war model」の語がありません。規則が使う語は「simplified model(簡素化した型)」です。

「war model」が現れるのは、1943年4月の値段の規則の改正3号からです。製造者が任意にそう名乗る作業服で、ズボンの生地は8オンス(オンスは生地の重さの単位)以下のデニムでした。

「大戦モデル」という呼び名は、当時の記録には見当たらない古着の通称だ、という指摘があります。

文字だけの図「当時の規則の言葉と、古着の呼び名」。1942年「規則の言葉は simplified model(簡素化した型)」、1942年8月26日「簡素化した品は、番号の前に S-」、1943年4月「war model が加わる(任意)。ズボンの生地は8オンス以下のデニム」の3つに「当時の規則の文面で確かめた」と添え、線の下に、いま「大戦モデルは古着の呼び名(当時の規則の言葉ではない)」と並ぶ
図:Fashi Note 編集部(当時の規則の文面をもとに作図) ▲上の3つは当時の規則の言葉。「大戦モデル」は古着の呼び名

「S は SIMPLIFIED(簡素化)の頭文字」

戦時の Lee のラベルの S を、SIMPLIFIED の頭文字とする資料はあります。規則と向きは合いますが、規則は S が何の略かを決めていません。

「S は SIMPLIFIED の略」という話がありますが、そう定めた当時の文書は見つかっていません(編集部調べ、2026年10月)。見たのは、当時の規則5本と手元の資料4点です。

詳しく見る:値段の規則の中身と、war model をめぐる経緯

古着の「大戦モデル」を、WPB の簡素化モデル、OPA の簡素化モデル、OPA のウォーモデルの3つに分ける見方があります。その区別は官報の原文でも確かめられました[1]。

MPR-208 は1942年8月20日付です。付録 B が作業ズボンに認めた簡素化は、三本針の縫い目、二重のポケット、9を超えるかんぬき止めとリベット、ハンマーループ、ウエストを含めて5を超える前あきのボタン、サスペンダーボタン、6を超えるベルトループ、尾錠と帯(シンチバック)を省くことです[7]。

そのうえで MPR-208 は、簡素化した型を、値段の上では元の品と「同じ品」とみなします(1942年3月に扱っていたもっと安い品と同じになる場合を除く)。部品を減らしても、上限の値段は元のままでした[7]。

改正3号の値段の表で、war model の作業ズボンの生地は8オンス、7¼オンス、6½オンスのデニムです。重さは幅28〜29インチの布に直して表すと決められていました[8]。

1943年5月26日の公聴会で、リーバイ・ストラウス社は、war model が将来強制されれば、使ってきた10オンスのデニムが使えなくなると訴えた、という説があります。war model はその後も強制にならず、それを陳情が効いた結果とみる推測もあります[1]。

「厚い」「黒い」「軍に支給」は本当?

今回開いた資料の範囲では、3つとも裏付けが見つかりませんでした(編集部調べ、2026年10月)。見たのは、手元の資料3点と、当時の規則とその改正の5本です。

よく言われる話結果決め手の一つ
生地は13.5オンスの厚手裏付けなし規則は生地の重さを変えた品を簡素化と認めない
色がドス黒い裏付けなし前後の年代の品と成分の違いは出なかった、という調べがある
軍に支給された裏付けなし軍の注文は規則の対象外
S は SIMPLIFIED の頭文字印までは確か、略は未確認規則は「S-」の付け方だけを定める

「大戦モデルの生地は13.5オンスの厚手」

上の資料と規則の範囲では、戦時の501の生地が13.5オンスに重くなったことの裏付けとなる資料は見つかりませんでした(編集部調べ、2026年10月)。むしろ値段の規則 MPR-208 は、生地の重さを変えた品を簡素化とは認めていません。

濃い青のデニムの生地の切れ端のイラスト。斜めに走る綾の目が描かれ、右上の角がめくれて、裏の淡い色が見えている
イラスト:AI 生成(Grok)をもとに編集部で作成 ▲デニムの生地のイメージ。重さや厚みは絵からは分からない(想像図)

ここがポイント

13.5オンスの出どころは、1978年に出た本の一文だという指摘があります。当時の保証の札(ギャランティチケット)は、一貫して10オンスとしていたといいます。

「大戦モデルは色がドス黒い」

上の資料と規則の範囲では、戦時の501だけ色が黒いことの裏付けとなる資料は見つかりませんでした(編集部調べ、2026年10月)。開いた規則に、染料や色そのものを決める項目はありません。

「大戦モデルは軍に支給された」

L-181 は、陸軍・海軍などの注文で作る作業服を、規則の対象から外しています。簡素化と S の印は、民間向けの作業服の決まりでした。

上の資料と規則の範囲では、501が軍に支給されたことの裏付けとなる資料は見つかりませんでした(編集部調べ、2026年10月)。この話は英語の当時の資料に根拠が見当たらず、日本語でだけ1980年代から見られる、という指摘もあります。

詳しく見る:検証の細部と、探した範囲

探した範囲は次のとおりです。

探した物中身
手元の資料3点戦時のジーンズを実物で調べた本[1]、ジーンズの文化史の本[4]、リーバイス社の501の歴史[6]
1942年の規則3本銅の規則 L-68[3]、作業服の規則 L-181[5]、値段の規則 MPR-208[7]
その後の改正2本1943年の MPR-208 の改正3号[8]、1944年の L-181 の改正[9](撤廃の告示は除く)
S の検証に足した物古着の写真カタログ[2]

8オンスは、いまの測り方なら2〜3割増し。1943年の war model のズボンの生地は8オンス以下でしたが、これは幅28〜29インチの布に直した数字です。いまの1平方ヤード当たりに直すと2〜3割大きくなります(編集部の換算)。それでも13.5オンスには届きません[8]。

13.5オンスの出どころは、エド・クレイの『リーバイス』(原書1978年)の一文だという見方があります。新品の501を測っても戦時に重くなった跡は無く、厚さが戦時の品でやや厚めに出たのは生地の凹凸による見かけだ、という見方があります[1]。

13.5オンスは、1955年に業界の重さの基準が幅28インチの布から1平方ヤードに変わった後の値ではないか、という推測もあります[1]。

色について、MPR-208 は色の堅牢度(color fastness)を「同じ品」とみなす条件の1つに挙げます。一方で、ふつう値段の差にならない色の違いは考えに入れないとしています[7]。

大戦中にインディゴの規制は無かったようだ、という説があります。1942〜46年製とみられる 501XX 4本と女性用の 701 1本を蛍光X線で調べた例では、どれからも硫黄が出ましたが、大戦の前後の品も同じでした[1]。

1943年の改正3号も、軍の仕様で作って軍の調達機関に売る衣料には、この値段の規則を当てないとしています[8]。

陸軍は1941年4月の上着の仕様書から順に、デニムの作業着をヘリンボーンツイル(HBT)に置き換えた、という説があります[1]。

陸軍は1941年ごろまでデニムの作業着を使い、海軍はその後もデニムの作業着を使い続けたとされます[1][2]。

編集部の結論: 当時の規則の原文から見える「大戦モデル」は、特別に作られた501ではありません。銅と糸と布を節約する規則に合わせて部品を減らし、それを「S」の印で示した501です。

大戦モデルが特別に見えるわけも、物の側より作り手の判断にある、というのが編集部の見立てです。削る規則の下でも模様を塗料で残し、糸でも塗料でも付けられる形で商標に出願したことです。

TAILOR’S NOTE

「リベットは9つまで、ボタンは何個まで──それを書類に書いて数えた役人がいたと思うと、古いジーンズの見え方がちょっと変わるんだよねぇ」

戦後、時計ポケットのリベットは戻り、シンチバックは戻らなかった

規則は1944年に緩み、1946年12月13日に撤廃されました。戦後の501では、時計ポケットのリベットは戻り、シンチバックは戻らなかったとリーバイス社はしています。

1944年8月の改正で、布を重ねたポケットの禁止は消えました。一方で、飾りの縫い目の禁止、シンチバック(尾錠)の禁止、リベットを9までとする決まりは残りました。

ところが、1945〜46年ごろとみられる501には、後ろポケットの縫い目と時計ポケットのリベットが戻った例があります。規則は終わりのほうでは形だけになっていたのでは、という推測もあります。

文字だけの年表の図。上の段「当時の記録で確かめた日付」に、1942年4月1日 リベットなどを銅で作るのを禁止、1942年8月 作業ズボンの部品の数を制限、1942年8月26日 簡素化した品の番号に S-、1943年11月16日 ポケットの模様が商標に登録、1944年8月23日 規則を改める(飾りの縫い目とシンチバックの禁止は残る)、1946年12月13日 部品の数の規則を撤廃。下の段「一説(資料が1つだけの日付)」に、1942年9月25日 模様を商標に出願、1947年ごろ 模様を2本針のミシンで縫う
図:Fashi Note 編集部(当時の規則と商標の記録をもとに作図) ▲規則の始まりと終わり。上は当時の記録で確かめた日付、下は資料が1つだけの日付

ポケットの模様は、戦争のさなかに商標になった

後ろポケットの弧の模様は、1943年11月16日に商標として登録されました(登録番号 404,248)。

出願は1942年9月25日で、L-181 が飾りの縫い目を止めてからおよそ6週間後だった、という説があります。出願の書面には、模様を糸で縫うか、塗料で描いて付けるとあったといいます。

いまは、古着の年代を見分ける手がかりに

戦時の501は、いまは年代を見分ける手がかりとして読まれています。ラベルの著作権表示の年、保証の札、ボタンの刻印などから、年代を絞り込む調べ方を示す資料があります。

詳しく見る:撤廃までの経緯と、商標の細部

1944年の改正版では、作業ズボンの項からサスペンダーボタンの禁止も無くなっています[9]。

撤廃を待たずに規制を外したメーカーがあったようで、1945年11月1日には WPB が「L-181 はなお全面的に有効」と念を押す発表を出した、という説があります[1]。

MPR-208 の解除は1946年11月10日で、S の表示はそれまで付いた、という説もあります[1]。

L-181 は1946年12月13日に撤廃されました[10]。

商標の登録番号 404,248 の書類のうち、いちばん古いものは1943年11月16日付の登録証です[11][12]。

リーバイス社は、1947年ごろから弧の模様を2本針のミシンで縫うようになり、2本の縫い目が交わる所にひし形ができて模様がそろった、としています[6][12]。

リーバイス社は、戦時中に塗料で描いた501には、塗料は洗えば落ちると説明する紙ラベル(フラッシャー)を付けたとしています。「アーキュエイト」の呼び名を同社の書類で使い始めたのは1973年より後だとしています[12]。

詳しく見る:赤い耳の生地のその後と、復刻が出た順番

戦前の501の赤い耳の生地(赤耳)は、その後どうなったのでしょうか。耳(セルビッジ)は、幅の狭い旧式の織機で織った布の端です。コーン社が1970〜80年代に織機の幅を広げると、同社のセルビッジは途絶えた、という説があります[4][6]。

リーバイス社は、1983年にコーン社が60インチ幅の織機で新しいデニムを入れ始めたとしています[6]。

リーバイス社は、古い501を求める人が増えると、1992年に米国で「Capital E」を、1996年に復刻の「Levi’s Vintage Clothing」を出したとしています。古着の市場が先にあり、メーカーがあとから自社の過去をなぞった順番だと、編集部は見ています[6]。

最初のジーンズのリベットは「銅」だったのか?

リーバイスが「ブルージーンズの発明」と呼ぶ1873年の特許は、リベットの材料を「金属」としか書いていません。「銅のリベット」は、特許の原本には無い言葉です。

特許は1873年5月20日付の米国特許 No. 139,121 です。発明者はネバダ州リノのジェイコブ・W・デイビスで、権利は本人とリーバイ・ストラウス社に譲られています。

守ろうとしたのは、ポケットの口の両端をリベットで留め、ほつれを防ぐ工夫です。材料は「金属のリベットか鳩目(穴のふちを補強する金属の輪)」とあるだけでした。

1873年の米国特許 No. 139,121 の図。作業ズボンをはいた男性の全身図で、腰のポケットの口の両端に、リベットを示す記号 b が付いている。上に J. W. DAVIS、Fastening Pocket-Openings、Patented May 20, 1873 の文字がある
出典:US Patent No. 139,121(1873年)、パブリックドメイン(Google Patents の頁画像) ▲1873年 特許の図。ポケットの口の両端の「b」がリベット。材料は「金属」とだけある

デイビスは、馬用の毛布の革ひもに使っていた銅のリベットを思いついた、という説があります。リーバイス社も、501を「銅のリベットを打ったウエストオーバーオール(腰までの作業ズボン)」と呼んでいます。

詳しく見る:特許の中身と翌年の訴え、戦争の直前の501、部品がそろった年の食い違い

特許の出願は1872年8月9日です。請求の範囲は「ポケットの口の両端をリベットで留めたズボン」という製品で、靴の縫い目にはすでにリベットが使われていたことを、明細書自身が先行の特許の番号を挙げて認めています[13]。

デイビスが馬用の毛布の革ひもの銅のリベットを思いついたという話と、501を「copper-riveted(銅のリベットを打った)」と呼ぶ言い方は、どちらも特許の原本には無い話です[4][6]。

特許の翌年には、もう争いになっています。1874年2月までに、リーバイ・ストラウス社は「ズボンのポケットの改良」の侵害で別の会社を連邦の巡回裁判所に訴え、2万ドルの損害を求めました[14]。

この改良は縫い目のほつれを防ぐもので、発明者はリノのジェイコブ・W・デイビスと報じられました。特許の明細書の発明者と同じ人です[13][14]。

戦争の直前の501には、腰の後ろのシンチバック(シンチ)と、股と時計ポケットのリベットがあった、とリーバイス社はしています。生地はコーン社の10オンスの赤い耳のデニムだったといいます[6]。

ジーンズは1人が発明したものではなく、少しずつ形になったものだ、という立場もあります[4]。

部品が足された年を、資料ごとに並べると次のとおりです。

部品リーバイス社の説明ほかの資料
時計ポケット1873年の最初の型からとする[6]1890年に加わったとする[4]
後ろポケット1873年は1つ、1901年ごろ2つとする[6]1873年は1つ、1905年までに2つとする[4]
2頭の馬の絵の革パッチ(ツーホース)1886年からとする[6]1886年からとする[4]
「501」の番号1890年ごろからとする[6]1890年ごろからとする[4]
赤タブ1936年からとする[6]1936年からとする[4]

2つが一致しても、出どころは同じである見込みが高いと考えます。片方の調べの一部は同社の資料室で行われ、同社自身がまとめた歴史の冊子が特に役立ったといいます[4]。

食い違うのは時計ポケットの年です。1906年の地震と火災で同社の記録が失われ、初期の記録はとぎれとぎれだといいます[4][6]。

外から確かめる手立てが手元に無いので、どちらとも決めません。

リーバイス社は、ベルトループを1922年に足し、サスペンダーボタンを1937年に外したとしています。生地は1927年ごろから、29インチ幅の織機で織ったコーン社のデニムだったといいます[6]。

西部の観光牧場(デュード・ランチ)の流行で東部の裕福な人たちがジーンズを知り、1935年にはリーバイスが女性向けの服を出した、という説があります[4]。

作業ズボンだったジーンズが、街で着る服になり始めたのは1930年代とされます[4][15]。

年表

1872〜1996年の年表(20行)を開く
年出来事資料
1872年8月9日デイビスがポケットの口のリベットの特許を出願[13]
1873年5月20日特許 No. 139,121 が登録(権利はデイビスとリーバイ・ストラウス社)[13]
1886年2頭の馬の絵の革パッチ(ツーホース)を付け始める(一説)[4][6]
1890年ごろ「501」の番号を使い始める(一説)[4][6]
1936年赤タブを付け始める(一説)[4][6]
1937年サスペンダーボタンを外す(一説)[6]
1942年4月1日衣料用のリベットなどを銅で作ることを禁止(L-68)[3]
1942年8月15日作業服の簡素化の規則(L-181)を、この日より後に裁断する布に適用[5]
1942年8月26日値段の規則(MPR-208)が発効。簡素化した品の番号に「S-」[7]
1942年9月25日後ろポケットの弧の模様を商標に出願(一説)[1]
1943年4月15日任意の「war model」を値段の規則に加える[8]
1943年5月26日リーバイ・ストラウス社が公聴会で、war model の強制に反対する(一説)[1]
1943年11月16日弧の模様の商標が登録(No. 404,248)[11]
1944年8月23日L-181 を改め、布を重ねたポケットなどを認める。飾りの縫い目とシンチバックの禁止は残る[9]
1945年11月1日WPB が「L-181 はなお全面的に有効」と発表(一説)[1]
1946年11月10日MPR-208 を解除(一説)[1]
1946年12月13日L-181 を撤廃[10]
1947年ごろ弧の模様を2本針で縫い始める。シンチバックは戻らない(リーバイス社の説明)[6][12]
1992年米国で「Capital E」のジーンズを出す(リーバイス社の説明)[6]
1996年復刻の「Levi’s Vintage Clothing」を世界で売り出す(リーバイス社の説明)[6]
  • ジーンズ — デニムで作るパンツ。前後のポケットの角をリベットで補強する
  • リベット — ポケットの口など、縫い目の端を留めて補強する金属の部品
  • デニム — 経糸をインディゴで染め、緯糸に生成りか白の糸を使った綾織りの生地
  • セルビッジ — 幅の狭い旧式の織機で織った生地の端(耳)
参考にした資料(15点)
  1. [1]青田充弘『WAR DENIM 神格化された「大戦モデル」を解読する』立東舎(リットーミュージック), 2025
  2. [2]Lightning 編集部『Lightning Archives VINTAGE DENIM 改訂版』枻出版社, 2019
  3. [3]War Production Board「General Limitation Order L-68」Federal Register, Vol. 7, No. 62, 1942
  4. [4]James Sullivan, Jeans: A Cultural History of an American Icon, Gotham Books, 2006
  5. [5]War Production Board「General Limitation Order L-181(Men’s Work Clothing)」Federal Register, Vol. 7, No. 157, 1942
  6. [6]Levi Strauss & Co.「History of the Levi’s 501 Jeans」, 2006
  7. [7]Office of Price Administration「Maximum Price Regulation No. 208(Staple Work Clothing)」Federal Register, Vol. 7, No. 166, 1942
  8. [8]Office of Price Administration「MPR 208, Amendment 3(Staple Work Clothing)」Federal Register, Vol. 8, No. 74, 1943
  9. [9]War Production Board「Limitation Order L-181 as Amended Aug. 23, 1944」Federal Register, Vol. 9, No. 169, 1944
  10. [10]Civilian Production Administration「Limitation Order L-181, Revocation」Federal Register, Vol. 11, No. 243, 1946
  11. [11]United States Patent and Trademark Office「TSDR: US Reg. No. 404,248」
  12. [12]Levi Strauss & Co.「Happy 75th Anniversary, Arcuate! 5 Facts About Our Pocket Design」, 2018
  13. [13]Jacob W. Davis「Improvement in Fastening Pocket-Openings」US Patent No. 139,121, 1873
  14. [14]「News Summary」The Pacific(サンフランシスコ), Vol. 23, No. 7, 1874
  15. [15]濱田雅子『アメリカ服飾社会史 重版』PUBFUN(ネクパブ・オーサーズプレス), 2022

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