ひとことで言うとデニム(英: denim)は、綾織り(ツイル)の生地です。経糸(たていと)をインディゴ(藍)で染め、緯糸(よこいと)に生成り(染めていない糸)か白の糸を使い、ジーンズの素材になる、と説明されることがあります。
この記事で分かること
- 表が青いのに、裏が白っぽく見えるわけ
- デニムとジーンズ(ジーパン)・ダンガリー・シャンブレーは、どこが違うか
- 「デニム」という名前が、昔はどんな布の名前だったか
- 裾の内側の白い線「耳」と「赤耳」は何か
テーマ: 生地・柄
デニムはジーンズの素材になる生地の名前で、ジーンズはその生地で作ったパンツの名前、と説明されることがあります。
裾を折り返すと、裏は白っぽく見えます。染めた経糸が表に多く出る織り方だからです。ところが名前のほうは、18世紀には黒い布の名前でした。
デニムはいつから、いまの青い布の名前になったのでしょうか。
「裾を折り返したときの、あの白っぽい裏。あれがどこから来るか、説明できる人は案外少ないんだよねぇ」
デニムとは? 表は青く、裏は白っぽい綾織り
デニムは、染めた経糸が表に多く出る綾織りの生地です。裏には染めていない緯糸が多く出るので、表より白っぽく見えます。
布の長さの方向に通る糸を経糸、幅の方向に通す糸を緯糸といいます。デニムは経糸だけを染め、緯糸は白か染めていない糸のまま織ります。1925年に米国政府が決めた買い付けの規格も、経糸は青、緯糸は白としていました。
綾織り(ツイル)は、織り目が生地の長さに対して斜めに走る織り方で、表に斜めの筋が出ます。経糸が表に多く出る綾織りでは、裏は平織り(綾織りと並ぶ、布の基本の織り方の1つ)のような見え方になります。
ここがポイント
100年あまり前には、経糸を濃い茶や茶に染めたデニムもありました。デニムは、青いとは限らなかったのです。
そのころのデニムの主な使い道は、作業着のオーバーオールでした。英語の overalls は、腰までの作業ズボンも指す言葉です。
詳しく見る:表と裏の色のわけと、1925年の米国政府の規格
染めた経糸が表を覆うので表は一色に見え、裏には未晒し(漂白も染めもしていない)の緯糸が多く出るので、表より淡い色になります[1]。
1907年ごろの米国のデニムは、2/1の綾で、経糸はインディゴ(藍)か濃い茶、緯糸は白でした。1917年ごろも、経糸は青か茶に染めていました[1][2]。
いまも、インディゴで染めていない色の糸を使うデニムがある、とも言われます[3]。
1925年の米国政府の買い付けの規格は、「ホワイトバック」(白い裏)と呼ぶ型について、経糸は青、緯糸は白と決め、素材は綿、織りは2/1か3/1の綾、幅は標準28インチとしました[4]。
同じ規格は2/1と3/1のどちらも認め、指定が無ければ2/1を納めるとしていました[4]。
1907年ごろも1917年ごろも、デニムの主な使い道は作業用のオーバーオールでした。1942年の米国の戦時の規則も、腰までの作業ズボンを「Waistband overalls or dungarees」と呼んでいます[1][2][5]。
デニムとジーンズ・ダンガリー・シャンブレーの違い
デニムは生地、ジーンズ(日本ではジーパン、Gパンとも)はその生地で作ったパンツの名前、と説明されることがあります。似た生地とは、ダンガリーは緯糸を染める点、シャンブレーは平織りの点が違うとされます。
ジーンズはデニム地の綾織りのパンツで服の名前、デニム・ダンガリー・シャンブレーはどれも生地の名前、と説明されることがあります。
| 生地 | 糸の色(典型) | 織り(典型) |
|---|---|---|
| デニム | 経糸はインディゴ、緯糸は生成りか白 | 綾織り |
| ダンガリー | 緯糸を染める。経糸は生成りか白とする資料と、経糸も染めるとする資料に分かれます | 綾織り。シャンブレーより厚手とも言われます |
| シャンブレー | 経糸を1色に染め、緯糸は白か生成り | 薄手の平織り |
表は典型の作りです。ダンガリーは、同じ名前でも国と時代で指す布が違うとされます。
シャンブレーは、100年あまり前にも、軽い生地で、いつも平織りで織るものでした。
布としてのデニムとジーンも、昔は違う物でした。16〜17世紀ごろのデニムはジーンより重く丈夫な綾織りで経糸だけを染め、ジーンは染めた糸どうしで織った、という説があります。
ここがポイント
米国では dungarees(ダンガリーズ)が、作業ズボンも指したとも言われます。
詳しく見る:ダンガリーの2つの定義と、シャンブレーの古い作り
ダンガリーは、経糸が生成りか白で緯糸がインディゴの、デニムと経緯が逆の綾織りとする資料[3]と、緯糸を染めずに織るのがデニム、経糸も緯糸も織る前に染めるのがダンガリーで違いはそこだけ、とする資料[1]に分かれます。
2つは経糸の色で分かれますが、緯糸を染める点では同じです。どちらが正しいかではなく、国と時代で指す布が違うと読めます。ダンガリーはシャンブレーより厚手、とも言われます[1][3]。
1907年ごろも1917年ごろも、シャンブレーは軽い生地で、いつも平織りで織り、耳(布の両端の縁)は白いものでした[1][2]。
1907年ごろのシャンブレーは、経糸を1色にして白い緯糸で織り、白い緯糸が経糸の色の強さをやわらげて無地の色に見えるものでした。経糸の色は紺・濃い茶・ピンク・ラベンダー・黒・薄い緑などで、青に限りませんでした[2]。
1917年ごろのシャンブレーは、糸が綿だけ・綿と絹・絹だけのどれでもよく、幅は平均27か30インチでした[1]。
いまのシャンブレーには霜降りの効果がある、とも言われます[3]。
16〜17世紀ごろのデニムとジーンの違い(重さと染め方)は、1点の資料による説です[6]。
1913年の Lee のつなぎは、カバーオールと dungarees を縫い合わせた物だったという説があります。dungarees が作業ズボンを指した話とあわせて、出典を示さない古着の資料1点だけにある説です[7]。
「デニム」は、18世紀には黒い布の名前だった
デニムの名は、南フランスの町ニームのサージ(綾織りの布の一種)から来たとされます。1751年のアメリカ植民地では、英国から入った「black serge de nim」が、黒い布として売られていました。
ただし、ニームのサージ説は推定で、起源ははっきりしないとする資料もあります。
denim という語は1690年代から使われ、もとはサージの一種を指したという説があります。粗い色付きの綿の綾織りを指すようになったのは、米国の英語で1850年までに、とも言われます。
1751年の品の名は「black serge de nim(黒のセルジュ・ド・ニーム)」。町の名を残した綴りのままでした。
ここがポイント
1771年には「black Serge Denim」の名で売られていました。色はやはり黒で、「black double Jean」とは別の品でした。
「ジーンズ」の「ジーン」も、もとは布の名前で、パンツの名前ではなかったとされます。
1759年、ジョージ・ワシントンは、農園の夏の上っ張り用に「目の粗いジーンズかファスチアン(綿・羊毛・絹を混ぜた布)」を40ヤード注文しました。ヤードで数える布の注文なので、この jeans はパンツではなく布の名前です。
「デニムとジーン、昔の品書きだとちゃんと別の布として並んでるんだよねぇ。名前が混ざっていくのは、そのあとの話さ」
黒い布の名前が、いつインディゴと白の綿の綾織りの名前に変わったのか。その途中の当時の記録は、まだ開いて確かめられていません(編集部調べ、2026年10月)。
詳しく見る:「デニム」の名前の出どころと、2つの品の記録
ニームのサージから来たとする説は、別々の3点の資料が同じ向きで、いまの資料ではいちばん確からしい説です[3][6][8]。
serge de Nîmes は16世紀ごろのニームの、綿と羊毛を混ぜた布の商いの名だった、という説があります。16〜17世紀の英国で知られたそれが、フランスからの輸入品か、フランス風の名を付けた国産品かも分かっていません[6]。
1690年代と1850年の年代は、1点の資料だけにある、という説です[8]。
1751年8月28日、メリーランド植民地のアナポリスの商人ビール・ボードリーが、「英国からの最近の船で」輸入した品の1つとして「black serge de nim」を売り出しました[9]。
1771年12月には、ロンドンからの船で品を仕入れた商人ウィリアム・ルークが「black Serge Denim」を売り出し、「black double Jean, India Jean」は別の品として並んでいました[10]。
当時の記録で確かめられたのは、18世紀半ばの植民地で「serge de nim」「Serge Denim」が黒の布として売られていたことまでです[9][10]。
詳しく見る:「ジーン」の出どころと、ワシントンの注文
「ジーン」が布の名だったことは、別々の2点の資料で一致します。18世紀のヴァージニアの農園の布の注文や、19世紀のカンザスで男性の服向けに作られた厚手の綾の「ジーン布」が例です[6][11]。
名の出どころは、「ジーン」を綾織りの意味とする資料[3]と、イタリアの港町ジェノバで作られたファスチアンが産地の名から jean と呼ばれたとする資料[6]に分かれます。
jean は15世紀半ばから「綾織りの綿布」の意味で、フランス語の「ジェノバのファスチアン」から来た、という説もあります。綾織りの綿布という布の名で、その名の出どころがジェノバだった、と読めば2つの説は両立します[8]。
ジーンの元の布も、ジェノバのファスチアンとする資料[6]と、ジェノバから輸入した綿のサージを「ジェノアーズ」と呼んだのが元だと「いわれる」とする資料[11]に分かれます。後者はウェブの記事を典拠にしているので、ここでは前者を軸にしました。
1759年9月20日の注文は、ロンドンのロバート・ケアリー商会あての注文書の1行で、農園の黒人の召使い(奴隷の身分の人たち)の夏の上っ張り(フロック)用でした[12]。
裾の内側の白い線「耳」は何?
耳(セルビッジ、セルビッチとも)は、織った布の両端の縁の部分とされます。ジーンズでは、脚の内側の縫い代に見えることが多いとも言われます。
経糸に沿って走る端で、旧式の幅の狭い織機で織った布にできる、という説があります。
ジーンズの縫い代に両端の耳が残っているのは、布幅をいっぱいに使って作った証拠とも言われます。
耳(セルビッジ)の色:白い耳と「赤耳」
100年あまり前のデニムの耳は、白が普通でした。1907年ごろは、どの等級でも耳は白で、青の経糸1,836本とは別に、白の経糸32本を耳に充てる織りの計算も残っています。
白い耳に赤い糸が1本入ったものは「赤耳」と呼ばれます。リーバイスは、1927年ごろから501の生地にコーン社の赤い耳のデニムを使ったと主張しています。
耳に入れた色糸の色で、生地の買い手が分かったとも言われます。
ジーンズの側の歴史、たとえばリーバイスの501の話は、リーバイス501の「大戦モデル」の記事にまとめています。
詳しく見る:耳と赤耳の資料、綾の組み方(2/1・3/1)
耳は、旧式の幅の狭い織機で織った布の、経糸に沿って走る端だという説があります。ジーンズでは脚の内側の縫い代に見えることが多い、とも言われます[6]。
耳が生地の両端に付くことは、別々の2点の資料で一致し、実物の写真とも合います[6][7]。
1907年ごろの織りの計算は、青の経糸1,836本と耳の白の経糸32本で、左右にどう分けたかは分かっていません。1917年ごろも、デニムには白い縁の耳が付くのが普通でした[1][2]。
「赤耳」は耳の一種で、耳全体の別名ではありません。白い耳の中に赤い糸を1本入れたもので、リーバイスは1927年にコーン・ミルズが501のために作ったと主張しています[13][14]。
米国の生地の工場コーン・ミルズでは、耳に入れた色糸の色で買い手が分かった、とも言われます[6]。
2/1・3/1は綾の組み方の違いで、記事の最初の図の下の段は3/1の模式図です。いまのジーンズは一般に厚手の3/1綾、オーバーオールやカバーオールはやや薄手の2/1綾とも言われます[15]。
第二次世界大戦のころ軍用に使われたデニムは、ほとんどが2/1綾だったという説があります[15]。
よくある質問
Q. デニムの語源は?
A. 南フランスの町ニームのサージ(serge de Nîmes)から来たとされます。ただし推定で、起源ははっきりしないとする資料もあります。
Q. デニムとコットンは同じもの?
A. 同じではありません。コットンは綿という植物の繊維の名前で、デニムは糸の色と織り方で決まる生地の名前、と説明されることがあります。1925年の米国政府の規格は、デニムの素材を綿と決めていました。
Q. デニムはいつからある?
A. denim の語は1690年代から、粗い色付きの綿の綾織りを指すのは米国の英語で1850年までに、という説があります。1751年には、黒の「serge de nim」がアメリカ植民地で売られていました。
関連語
もっと詳しく: リーバイス501の「大戦モデル」は特別か
参考にした資料(15点)
- [1]A. E. Blanco, Piece Goods Manual, Statistical Department of the Inspectorate General of Customs(上海), 1917
- [2]Frank P. Bennett & Co., A Cotton Fabrics Glossary, F.P. Bennett, c1907
- [3]高村是州『アイテム 歴史 スタイル 専門用語 デザイン すべてがイラストでわかる ファッション事典』日本文芸社, 2026
- [4]Bureau of Standards, Circular of the Bureau of Standards No.266: United States Government Master Specification for Indigo Blue Denim (Unshrunk), 1925
- [5]War Production Board「General Limitation Order L-181(Men’s Work Clothing)」Federal Register, Vol.7, No.157, 1942
- [6]James Sullivan, Jeans: A Cultural History of an American Icon, Gotham Books, 2006
- [7]Lightning 編集部『Lightning Archives VINTAGE DENIM 改訂版』枻出版社, 2019
- [8]Douglas Harper「denim (n.)」「jean (n.)」Online Etymology Dictionary
- [9]Beale Bordley の広告「Imported」The Maryland Gazette(アナポリス), 1751
- [10]William Rooke の広告 The Maryland Gazette(アナポリス), 1771
- [11]濱田雅子『アメリカ服飾社会史 重版』PUBFUN, 2022
- [12]George Washington「Enclosure: Invoice to Robert Cary & Company, 20 September 1759」Founders Online, National Archives
- [13]Levi Strauss & Co.「History of the Levi’s 501 Jeans」2006
- [14]Tracey Panek「501® Fab Facts: The Story of Selvedge」Levi Strauss & Co., 2023
- [15]青田充弘『WAR DENIM 神格化された「大戦モデル」を解読する』立東舎, 2025
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